私が看護師になった理由…
それは、
祖母の死にありました。
長い間、我が家で療養していた
祖母の最期は
最期の最期まで延命処置を受け
家族に見守られることなく
旅立っていったのでした。
もしかすると、
それは祖母が望んでいた
最期かもしれない。
でも、幼い私は
両親の最期が同じ様ならば、
医療者側に混じって、
最期の場面に立ち会える
存在にならなくては
大切な人の旅立つ時に、
手さえ握ってあげられない!!
そんなのは嫌だ〜‼︎と思い、
看護師になりました。
住み慣れた自宅で旅立ちたいと
願っても叶わない現実
ちょうど私がこの世に産まれ出た頃から
日本は、自宅死と病院死が
逆転していくこととなります。
健康保険の充実した制度に、
個人個人の負担額が減り病院で最新の医療を
大切な存在に受けさせたい。
という家族の思いも病院死の数が増えていった
背景にあるかと思います。
ですが、未だに望んでも、住み慣れた自宅で
最期を迎えることが出来ないという
現実があります
希望に反して、自宅で最期を迎えられない人が増えてきた背景にはさまざまな事情がありますが、なかでも大きいのが家族の関係や形態の変化です。かつては「サザエさん一家」のような二世帯、三世帯同居が当たり前だったのが、社会の近代化に伴って核家族のほうが多くなり、成人後の親子関係もそのぶん、希薄になってきました。
https://gentosha-go.com/articles/-/22078 幻冬舎GOLD ONLINEより
コロナの影響で、
病院に面会に行けないという事態が発生して、
大切な人の旅立ちにそばに寄り添いたいと
願う家族がご本人の希望を叶えるべく
自宅に迎え入れようとするケースが
多くなってきました。
それでも、ご本人とご家族を支えることに
社会資源が生かしきれなかったり、
必要な方に情報が届きにくく
最終的には、ご家族に負担がかかり
疲弊してしまうと言うケースがあります。
ただ単純に嶋田先生がおっしゃる様に
マンパワーが足りていないことにより
ある一定の家族にだけ負担がかかり
最終的には病院に頼らざるを得ない状況に
なってしまう方もおられます
看取りは家族がしていたという時代に還っていくという折り返し地点
人生100年時代といわれ、
厚労省では人生100年時代構想会議が開催され
議論がなされています。
1970年代頃に生まれた私たちの時代に、
自宅での看取りが病院への看取りへ
逆転しはじめて、ちょうど真ん中である
折り返し地点になった50代の私たちが
自分の両親の看取りの実践をし、
子や孫へ看取りに対しての向かい方を
繋げていくことが出来ると捉えています。
国立社会保障・人口問題研究所による日本の将来推計人口によれば、65歳以上の高齢者人口が3,667万人で全人口の31.8%となる年です。そして、約160万人の死亡者のうち、約47万人の「死に場所」が定まらない「看取り難民」の大量発生が予測されている年です。そのため、「看取り」を含めた在宅医療を行う診療所等には大きな期待が寄せられています。
https://be-nurse.com/news-2030s-elc-refugee-essence1/ 在宅ホスピスで頑張る人達の応援サイト【For The Smile】より
答え探しではなく色々と試して
次の世代に繋ぐ
折り返し地点に立った私たちには
自分自身で看取り(自宅で看取る)の実践を
してこなかった両親を
どのように看取るのか
社会的には油の乗ったと思われる年齢となって、
これからと言う人もいるだろうし
子育てが一段落したのに、今後は親の介護??
そんな風に思う人もいるかもしれない
両親とは別々に暮らしていたから我が家で
看取るのは違うと思うし
他の兄弟はどう思うのかな?経済的には?
自分の老後のことも考えなくちゃいけないし
いろんなことが頭をよぎると思うのですが
確実に人口の減っていく
日本の未来が
受け繋ぐものの一つに
「大切な家族は家族が看取る」
という環境を
整え残していきたいのです。
私の夢は「大切な家族は家族の力で看取る」
そこにフォーカスして看護師セラピストとして
できる事を、広げていきたいのです。
答えを見出すのは、
ご本人でありご家族さんです。
私は答えを出すのではなく、
ご本人さんとご家族さんの希望に寄り添える
看護師になりたいのです。
穏やかに癒される環境を
提供することが夢
看護師からスキンケア(エキスパート)・
アロマセラピストとなったのが2005年。
人には(自分も含めて)癒される時間が必要だ!
と飛び込んだこの世界で
様々な方との出会いや体験を頂きました
今でも、長くお付き合いさせて頂いている方が
多いのは私の自慢のひとつです。
そんな中、皆さん年齢を重ねていき
病気となりサロンに通うことが
出来なくなっていく方も出てきました。
お客様が癌になったり
サロンで働いてくれていた後輩セラピストが
乳がんと向き合いながら
仕事を続けてくれたことも
語らせていただいている夢の
きっかけとなっています。
格好つけていうと「死という体験」も
その人を締めくくる大切な体験。
でも、どうしても
その体験の過程によって感じる
不安や恐怖があるのなら
少しでも解放されるお手伝いができないか
そのことが看護師として
一番実践したかったことなのでは
と考え始めました。
そして、思い返すと、私の周りには
旅立つ方が多く(臨床勤務時代も)
旅立つ方に寄り添うことが
私の使命なんだと受け入れたのが10年まえ。
そのことに気づいてから
誰にでも訪れる死と言う体験が、
苦しく寂しく、悲しいだけではなく、
安心出来る環境が提供されて、
少しでも穏やかに過ごせること。
ご本人だけではなくご家族さんにも
人生の最終章において、良い人生だったと
感じてもらえる環境を作り出していきたい。
そんな思いが次第に強くなり
娘の死をきっかけにして
実際に、看取りの場面に寄り添う活動を
少しづつスタートさせてきました。
大きな病いと向き合い緩和期におられる方も、
ケアを受けることで日々の暮らしの中に戻り、
病気を抱えていることを忘れて
生活を楽しんでいただきたい。
終末期も迎えても
ご本人のくつろげる環境に戻って
優しく過ごすことのできるを
基本にしていくこと。
今までで得てきた知識と体験を
活かして、最期の場面であっても
「穏やかに癒される環境を提供すること」
が私の夢です。
長々とお付き合いいただき
ありがとうございました。
夢は語るものではなくて、掴むもの!!!
実現に向けて頑張りまーーす。
今日は私の夢を聞いて頂き
ありがとうございます♡
2022年2月